何か意味を作ろうとして、空回りした夜

こんばんわ。
このブログを書いているりんどうです。

パチ屋に行かない夜が続く中で、
最近よく思うようになりました。

「せっかく行かなかったんだから、
 この時間、何か意味のあることをしなきゃいけないんじゃないか」

そんな義務みたいな考えが、
その夜はやけに強くなっていました。

「有意義な夜にしよう」と決めた帰り道

仕事帰り、
パチ屋の前を通り過ぎながら、
今日はちゃんと家に帰ると決めました。

行かないだけじゃなくて、
今日は“いい夜”にしよう。

本を読むとか、
何か勉強するとか、
ブログのことを整理するとか。

頭の中では、
やることリストがどんどん増えていきました。

家に着いた瞬間、急に動けなくなる

でも、家に着いてソファに座った途端、
体が一気に重くなりました。

何から始めればいいか分からない。
どれも「やった方がいいこと」な気がして、
逆に手が出ない。

本を開いても、
文字が頭に入ってこない。

結局、
スマホを手に取ってしまいました。

「何かしてない自分」に、勝手に焦る

動画を流し見しながら、
頭の片隅ではずっと考えていました。

「また何もしてないな」
「せっかく行かなかったのに」
「これじゃ意味がないじゃないか」

パチ屋に行かなかったはずなのに、
自分で自分を追い込んでいる感覚。

何かを失ったわけでもないのに、
どんどん気分だけが重くなっていきました。

意味を作ろうとして、夜が苦しくなる

そのとき気づきました。

この夜が苦しいのは、
暇だからでも、
何もしていないからでもなくて、

「この夜には意味がなきゃいけない」
そう思い込んでいたからなんじゃないかと。

行かなかった夜を、
ちゃんとした成果に変えようとして、
逆に空回りしていた。

結局、何もできなかった夜だった

その夜、
特別なことは何一つできませんでした。

勉強もしていない。
本もほとんど読めていない。
ただ、時間が過ぎただけ。

でも、
パチ屋には行っていない。

それだけは事実でした。

意味がなくても、行かなかった夜は残る

布団に入る頃、
少しだけ考え方が変わりました。

この夜に、
無理やり意味をつけなくてもいい。

何も生み出さなくても、
何も達成しなくても、

「行かなかった」という選択は、
ちゃんと残っている。

それだけで、
今日は十分だった気もする。

このブログは、空回りも書いていい場所

このブログを書いていなかったら、
この夜は「何もできなかった夜」で終わっていたと思います。

でも今は、
「意味を作ろうとして空回りした夜」として、
ちゃんと残せる。

成功した夜だけじゃなく、
うまくいかなかった夜も、
そのまま書いていい。

このブログは、
そんな夜の居場所でありたいと思っています。

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