やめたい理由が、はっきりしなくなった
こんばんわ。
このブログを書いているりんどうです。
最近ふと、
「なんで自分はパチンコをやめたいんだろう」
と考える瞬間がありました。
お金の無駄だからなのか。
時間を失うからなのか。
世間的なイメージが悪いからなのか。
どれも当てはまる気はするけど、
どれも決定打ではない。
正直に言うと、
理由が前よりも曖昧になってきています。
ストレス解消なら、無理にやめなくてもいいのか?
仕事が忙しい日が続くと、
「ストレス解消になるなら、別にいいんじゃないか」
そんな考えも浮かびます。
実際、
何も考えずに座って、
玉の動きを眺めている時間は、
一時的には楽だった。
だからこそ、
「完全に悪いもの」と言い切れなくなった。
やめたい理由を並べてみても、
どこか自分を説得しきれない感覚が残ります。
それでも、距離は縮まらなかった
ただ、不思議なことがあります。
理由がはっきりしなくなっても、
「じゃあ行こう」とはならなかった。
強く我慢したわけでもない。
意志を固めたわけでもない。
ただ、
気づいたら距離が戻っていなかった。
以前なら、
理由が揺れた時点で
もう店に向かっていたと思います。
でも今は、
揺れたまま、その場に留まっている。
「やめたい理由」より「変わった距離感」
最近思うのは、
大事なのは理由じゃないのかもしれない、ということです。
やめたい理由は、
その日の気分や状況で簡単に揺れる。
でも、
距離感はすぐには戻らない。
前みたいにワクワクしない。
時間を使った後の虚しさを知っている。
「行ったあとの自分」を想像できてしまう。
その感覚がある限り、
理由が曖昧でも、距離は保たれる。
行かない夜が、当たり前になり始めている
今日も結局、
特別な葛藤もなく夜が終わりました。
パチンコに行かなかった。
でも、何かを達成した感じもしない。
ただ、
行かない夜が一日増えただけ。
それなのに、
前より心は静かです。
これはきっと、
「我慢」から「習慣」に近づいている途中なんだと思います。
このブログは、理由が分からない夜も残せる場所
やめたい理由が分からなくなる夜もある。
迷う夜も、納得できない夜もある。
それでも、
距離が戻っていない事実は残っている。
このブログは、
強い決意を書く場所じゃなくていい。
理由が曖昧なままでも、
立ち止まっている夜を
そのまま置いておける場所でありたい。
理由が分からなくなっても、
距離は戻らなかった夜。
それだけで、
今の自分には十分な変化だと思っています。

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