行かなかったけど、なぜか後味が悪かった夜

こんばんわ。
このブログを書いているりんどうです。

今回は「行きたかった夜」の話ではありません。

その夜、
結果だけ見れば「ちゃんと我慢できた夜」でした。

パチ屋には行っていない。
お金も使っていない。
負けてもいない。

それなのに、
なぜか気分がすっきりしないまま夜が終わりました。

行かなかったのに、気持ちは晴れなかった

家に帰って、
いつも通りソファに座ってスマホを触る。

特別なことは何もしていないけど、
「行かなかった」という事実はある。

本来なら、
「今日もよく我慢した」
そう思っていいはずなのに、

胸の奥に、
少しだけモヤっとしたものが残っていました。

「行ってたら勝てたかも」という考え

その正体のひとつは、
頭の中にふと浮かんだこの考えでした。

「今日、行ってたら勝てたかもしれないな」

根拠は何もありません。
台のデータを見たわけでもないし、
特別な予感があったわけでもない。

ただ、
行かなかったからこそ、
都合のいい想像だけが膨らむ。

負けなかった現実よりも、
存在しなかった“勝ったかもしれない夜”が、
少しだけ眩しく見えてしまう。

行かなかったけど、何もしていない夜

もうひとつ、
後味の悪さの原因だと思ったのは、

「結局、何もしていない」
という感覚でした。

パチ屋に行かなかった時間を、
有意義に使えたわけでもない。

勉強したわけでも、
何かを生み出したわけでもない。

スマホを触って、
ぼーっとして、
気づいたら夜が終わっていた。

「行かなかった」だけで、
プラスになった実感がなかった。

そのことが、
自分を少しだけ責めていました。

正解だったはずの選択が、揺らぐ瞬間

冷静に考えれば、
行かなかった判断は間違っていない。

お金も減っていないし、
後悔するような結果もない。

それなのに、
「本当にこれでよかったのかな」
そんな気持ちが残る。

この感覚は、
パチ屋に行っていた頃には
あまりなかったものです。

行って負ければ、分かりやすく後悔できた。
行って勝てば、それで満足できた。

でも今は、
結果が何もない夜だからこそ、
評価のしようがなくて、
後味が悪くなるのかもしれません。

後味が悪い夜も、前よりはマシだと思えた

それでも、
ひとつだけはっきりしていることがあります。

この後味の悪さは、
負けた夜のそれとは違う。

自己嫌悪で押しつぶされる感じもないし、
「やってしまった」という重さもない。

少しモヤっとするだけで、
ちゃんと朝は来る。

そう思えたことで、
「この後味の悪さも、通過点なんだろうな」
と思えるようになりました。

このブログは、後味まで書いていい場所

行かなかった夜でも、
気分がいいとは限らない。

我慢できた夜でも、
納得できないことはある。

でも、
そういう正直な感覚を
そのまま残せる場所があるのは、
自分にとって大きい。

このブログは、
成功した夜だけじゃなく、
後味の悪かった夜も書いていい場所。

行かなかったのに、
なぜかスッキリしなかった夜。

それも、
今の自分のリアルな途中経過として、
ちゃんと残しておこうと思います。

コメント

タイトルとURLをコピーしました