こんばんわ。
このブログを書いているりんどうです。
パチ屋に行かない夜の怖さに、
少しずつ慣れてきたと感じていた最近。
前より落ち着かない時間も短くなって、
「まあ、こんな夜も普通だよな」
そう思える日が増えてきました。
でもある夜、
その“慣れ”が少しだけ危ない方向に傾いた気がしました。
「今日は大丈夫だろう」という感覚
その日は、特別なことがあったわけではありません。
仕事は無難に終わって、
帰り道もいつも通り。
気持ちも、そこまで荒れていなかった。
そんなとき、ふと頭に浮かんだのが、
「最近ちゃんと行ってないし、
今日は行っても平気なんじゃないか」
という考えでした。
焦りでも衝動でもない。
むしろ、落ち着いているからこそ出てきた感覚。
これが、今までとは少し違いました。
我慢している感覚が、薄れていた
以前の「行きたい夜」は、
もっと分かりやすかった気がします。
ソワソワして、
理由を探して、
無理やり自分を納得させようとする。
でもその夜は違いました。
我慢している感じがない。
苦しくもない。
「行かない自分」にも、特別な達成感がない。
だからこそ、
「行っても戻ってこれそう」
そんな錯覚が生まれました。
慣れは、安心でもあり、油断でもある
少し怖くなりました。
パチ屋に行かない夜に慣れることは、
いいことだと思っていました。
でも同時に、
「行かなくても平気」から
「行っても平気」へ
簡単にすり替わる可能性もある。
その境目に、
自分が立っている気がしたからです。
結局、その夜も行かなかった理由
その夜、結局パチ屋には行きませんでした。
強い意志があったわけではありません。
「今日は行かない」と決めたというより、
「今日はやめておこうかな」と思っただけ。
ただ一つ違ったのは、
「慣れた今だからこそ、危ないかもしれない」
そう考えられたことでした。
それは、
前の自分にはなかった視点です。
慣れた自分を、過信しないために
慣れること自体は悪くない。
でも、慣れた自分を信用しすぎるのは、
少し怖い。
今の自分は、
まだ途中で、
まだ揺れる。
だからこそ、
「大丈夫そうな夜」ほど
立ち止まる必要があるのかもしれません。
このブログは、油断を記録する場所でもある
このブログは、
頑張れた日だけを書く場所じゃない。
油断しそうになった夜も、
危なかった感覚も、
そのまま残していい場所。
次は、
この感覚を見逃してしまう夜が
来るかもしれない。
それでも、
そのときの自分がどう感じたのかを
また書いて残そうと思います。

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